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20年ぶりにオリジナルアルバム 「TRUE LOVE」をリリース 高木 麻早さん
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曲も「ひとりぼっち…」「想い出が多すぎて」のヒット曲のほかに7曲を書き下ろしました。今は純愛ものが流行し、昔の時代に戻っている感覚でしょ。コンセプトは子どもに対する愛、異性に対する愛、人間としての愛…で私の中にあるものをそのまま描きました。曲を聴いたスタッフ一同、タイトルは「TRUE LOVE」にしようと。ミュージシャンも松原正樹さん、南部昌江さん、徳武弘文さんなど多彩で、新しい魅力にあふれているので、ぜひ聴いていただきたいわ。 私はフォークが大好きで高校のとき学園祭で歌いました。父は厳格で「女は男を立て、考えたりしなくても言われるままにしていればいい」という考え方でしたから、レストランでメニューをみても「何でも結構です」というタイプ。たった1回きりのはずでした。 ちょうどチェリッシュがデビュー、彼らの生番組でアマチュアフォークを紹介するコーナーがあり、たまたまどなたかが推せんしてくださったのでしょう。そのときに「想い出が多すぎて」をギターを弾いて歌いました。それを聞いた番組のディレクターがずっと連絡を取り続けてくれ、父に内緒でヤマハのポピュラーソングコンテストに応募。全国大会出場となったのですが、それ以上は父が許さないだろうと出場をお断りしました。 当時の川上源一社長は応募のテープを聞いていらっしゃったんですね。「どうして高木さんは出場していないのか」と言われ、電話をかけてこられたんです。「短大を卒業したら結婚します」と出場を固辞した私に川上社長は「音楽がどれだけ素晴らしいものか」を熱心に話され、「女でもやりたいことをやりなさい。もう一度ポプコンに出てほしい」とおっしゃり、父の許可を取って出場したら優勝。レコードを1枚出せばいいというお話だったのにそのレコードが売れてしまい、19歳でデビュー。全部偶然に繋がっていきました。 デビュー後、スケジュールはアイドル並みで寝る時間はほとんどありませんでした。父との約束で短大は卒業しなければならないし、学校に行けるのは試験の日だけという状況。友人に代返を頼み、試験はどこが出そうか、先輩にどの科目を取ったらいいかなどアドバイスを受けました。試験勉強をする暇もなくて本をじっと見てると、これが出そうだというのがわかったんです。半分は当たりました。今から思うとよくやったと思います。 当時ニューミュージックという言葉はなく、弾き語りでも歌謡曲でもなく、何でしょうとよく言われました。でも人前で仕事をするという育てられ方をしてこなかったので、つらくて、やめたくてしかたがなかった。お医者さんからもこのままでいくとがんになりますと言われたほど。10年間続けて31歳で結婚、音楽活動を休止しました。 その後は活動をせず、人生の方向を変えざるようなことになったとき、松原正樹夫妻との出会いがあり、「歌でやっていける」と一生懸命言ってくださいました。おばさんになった私に「やってみたら」と言ってくださり、スポンサーも探してくださる。友人たちに恵まれ奇跡のようです。私自身も歌うことは天職だと思えるし、これからライフワークにしていこう、と。神様はいろんな経験をさせるために列車を用意してくださっているけれど、走らせるのは私、やるしかありません。次のアルバムが作れるようがんばって歌っていきたいですね。
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