>>No.163

御園座で11代目の
市川海老蔵襲名披露の
「第40回吉例顔見世」

市川海老蔵さん

  今秋、11代目市川海老蔵襲名披露の「第40回吉例顔見世」が御園座で行われ、大きな注目を集めています。初代團団十郎が幼名とした海老蔵は、代々の團十郎が前名や後名として名乗った名跡で、襲名は次の團十郎のお披露目ともいえます。7月末に行われたまねき上げには、たくさんの人が詰めかけ、海老蔵のりりしい姿に大フィーバー。市川海老蔵さんに伺いました。

プロフィール
昭和52年12月、東京生まれ。市川團十郎の長男。58年5月、本名で歌舞伎座「源氏物語」の春宮で初目見得。60年5月、市川新之助を名乗り、歌舞伎座「外郎売」の貴甘坊で初舞台。以後、「勧進帳」の武蔵坊弁慶、「助六由縁江戸桜」の花川戸助六、「鳴神」の鳴神上人など歌舞伎の大役に次々と挑む。そのほか大河ドラマ「武蔵」(NHK)などでも活躍。第7回読売演劇大賞杉村春子賞(平成12年)、松尾芸能新人賞芸術選奨(13年)、文部科学大臣新人賞受賞。10月にパリで襲名披露興行を行う予定。

本 名 堀越 孝俊(ほりこしたかとし)
代 数 十一代目
屋 号 成田屋
生年月日 昭和52年12月6日
  昨年末、市川新之助から海老蔵に改めるという大きな切り替えへの時でした。その時はお話をいただいてもなんか現実的ではなかったんです。大晦日からいろんなセレモニーが続き、緊張の連続。小泉首相がいらっしゃったパーティーは2,500人ほど集まられたんです。

 5月から東京、大阪と3カ月間襲名披露公演で、千秋楽を迎え、疲れたというのが実感です。150年ぶりに團十郎、海老蔵共演で、顔見世ができるとはりきっていたんですが、父が思いもよらない病魔に倒れてしまった。父自身も無念だっただろうし、お客さんにも申し訳なかった。僕もきつかったですね。本来なら口上でも見守ってもらえるのに、途中から入院していなくなってしまったわけですから。でも父がいたときといないときも体験でき、逆にありがたかったですね。

 元禄時代、初代團十郎家が見た目が奇妙なスーパーヒーローが悪を蹴散らす「荒事(あらごと)」といわれる芸を創設。これが歌舞伎界で「市川宗家」と呼ばれることになったのですが、今回の演目は市川の希望がかなり入って家芸「勧進帳」で「富樫」や「弁慶」を父が演じていました。

9月の御園座の襲名披露は、昼の部に瀬戸内寂聴さんの「源氏物語」から「藤壺」「六条御息所」「朧月夜」の3つの巻からなる新編を、夜の部で「助六」を演じます。襲名で新作が出るのは異例ですが、瀬戸内先生が僕のことを気に入ってくださり、門出の祝いにと書いてくださっています。先生は、100年に一人出るかどうかの方ですから、むちゃくちゃありがたいです。先生もご高齢ですから、寂庵に伺ったとき「死ぬ前にちゃんと書いておいてくださいね」とお願いをし、「舞台にならなくても、ちゃんと通しで上演できるよう書き残しておくわよ」とおっしゃってくださっているんです。僕らは役者ですから出来上がった台本を待つのが本来なので、とても楽しみにしています。僕の祖父、11代目團十郎が42歳のとき、「源氏物語」の光君を演じ、一大ブームを巻き起こし、父團十郎も演じ、それをずっと見てきましたが、脚本の実年齢からいうと、僕がちょうどいいくらい。

 最近歌舞伎が楽しくなってきているんですよ。周りにいる素敵な先輩たちはすごい人たちばかりで、その人たちと交わることが多い、というのはすごい大きな財産ですよね。「勧進帳」で相手してくださった仁左衛門さんなど、同じ舞台に出て、役者の大きさを感じました。面白くて、もっと、もっとという感じですね。NHKの大河ドラマ「武蔵」に出演できたのもいい機会でした。歌舞伎は枠があり、メンバーが固定されていますが、ドラマで毎週リハーサルに出かけると輝いている人たちに会える。その人たちとの出会いは大きかったし、見ているだけで勉強にもなりました。

 勘九郎さんがニューヨークで中村座を実現し、活躍しているのを見るとうれしい。どんどんやれる人は好きですね。僕も自分の夢に向って行きます。

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