>>No.153

   芦屋 小雁

 芦屋小雁さんが主演する「どんごな子」が4月9日から18日まで、名古屋駅前の名鉄ホールで上演されます。昨年の「とんちんかん」に続き、大阪人情まげもの喜劇の登場です。70歳の小雁さんが14、5歳の設定の小太を演じるのが見どころの一つ。独特のキャラクターは、自然に出てくるという小雁さん。公演に対する意気込みを伺いました。

プロフィール

 昭和8年生まれ。京都府出身。幼いころ、絵を描くことが大好きで商業美術の道を志すが、当時花形であった漫才にひかれ、兄雁之助とともに、昭和25年ごろから京都・大阪を中心に寄席劇場に出演。その後テレビ放送が始まると同時に拠点を大阪に移し、週10本のレギュラー(「番頭はんと丁稚どん」ほか)に出演する人気タレントとなる。昭和34年、雁之助を含む当時の仲間とともに劇団「笑いの王国」を結成。昭和39年には、雁之助を座長に弟雁平を加えて劇団「喜劇座」を結成し、数多くの作品を残す。現在は舞台公演、テレビ、ラジオにも数多く出演。書籍の執筆や人物画、遊び絵などにも熱中する。


 「どんごな子」というのはもともとは八丈島の方言で“どじでのろまな子”という意味です。40年前、兄の雁之助がぼくのために書いてくれた脚本で、よくできてましてね。70歳ですけれど、あえてこの作品をやろうと思いました。

 あらすじは、瀬戸内海の小さな島に生まれたどんごな子が大阪・道頓堀の蕎麦屋さんに奉公に行きます。そのお店は、おかみさんが牛耳っていて、ご主人は髪結いの亭主。修行をしても失敗ばかりするどんごな子。そんな時、とてつもない事件がどんごな子に降りかかりますが、人々がわすれそうになっている大切な心を持っていたために…。涙と笑いたっぷりの人情まげもの喜劇です。共演は、白木みのる、おりも政夫、沢田雅美ちゃんと古い友人ばかりで息がわかるというのが一番ですね。今回は、大衆演劇の都若丸も加わり、華やかな舞台になります。


 僕は小学校を5年生でやめて、年を隠して働き、20ぐらいの仕事をしました。絵が好きでね。そのころ13、4歳だったのに絵描きさんのところで働き、映画館の看板とか、高島屋の宣伝部から仕事をもらったりしていました。戦後、芸能界に入って、ご飯を食べるために田舎で巡業、役者としてやっていったんです。でも一人では大変なので、大村昆ちゃんや兄の雁之助と一緒に劇団「喜劇座」を立ち上げ、活動を続けました。以来50年以上、みんな別々の仕事をするようになりましたが、ここまで役者を続けることは大変でね。芸能界は好きじゃないけれど、客観的に見たり、演出したり、趣味を持つことで、ほかの友人ができる。そういうことがよかったんでしょうね。

 大阪の喜劇というのは、チャップリンのような社会性はなく、マスターキートンのようなプラスチックな笑いとは違い、庶民性を大切にした泣き笑いの人情喜劇なんですよ。筋がわかりやすくて、最後はハッピーエンド。見ているお客さんがこうなるやろうか、と思っていて、ああ、やっぱりこうなった、よかったなという喜び。僕にとっては、ライブ感で笑っていただく喜びは忘れられませんね。笑われてなんぼの世界ですから。名古屋のお客様は大阪の喜劇を喜んでくださる。芝居熱心で温かい。僕と肌が合うというのか、第2のふるさとのようです。

 趣味は、居合い3段持っていますし、映画のフィルムを集めたり、絵を描くこともそうですね。好奇心旺盛ですから、とことんこります。映写機は35_、9_半とか全部ありますし、映画は、ほかのライブラリーにないようなホラーやSF、ミュージカル分野の35_の作品を16_に焼きなおして保存していました。1930年代のミュージカルも何本かありますよ。家の2、3軒は買えたかな(笑い)。400本ありましたが、嫁さんに追い出されて?家を出るたびに置いてきたり好きな人たちにあげて、今100本近くあります。絵は、水彩、油絵とどちらでも描き、個展も開いています。

 役者はね、いろんな役を演じて人格を変えるということが気持ちの発散になるんです。それが若さを保ったり、長生きできる秘訣かもしれない。僕の嫁さんは、初代から数えて3代目。かなり年齢的に若い子ばかりで今まで二桁続いたことがないんです(笑い)。今度は80、90歳まで長生きして同じような若い役を演じたい。僕らの姿を見て、みなさんが夢を追えるようがんばっていきたいですね。

 

 

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